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2010/03/16 中日新聞朝刊
プロ野球界は大変なところなんだろうなと、この世界に入ったときに思った。今から30年以上も前のこと。入る全員がレギュラーを目指すわけで、代打だけ、代走だけ、守備要員だけ、中継ぎだけなんて考える選手は一人もいない。みんなエースや4番を狙っているんだ。おれもそう思って入った。
当時、意中の球団ではないからとドラフトで指名されても入団しない選手が結構いたが、25歳をすぎていたし、自分で進路を選べるような選手ではなかった。まずはプロ野球界に入らないことには、どうしようもなかった。必要としてくれるならどこでもと思った。
選手には二通りある。どこかのポジションがあいているとか、急にけが人が出たとかで、まずは代打、代走、守備固めで使ってもらえる選手と、入ったときから主力にしようとされる選手。おれはどっちかというと、ある程度は期待はされていたが、人数合わせ。同じ土俵には上がったが、チャンスはそうそうは転がってはいなかった。そういう選手は、2軍戦で本塁打を打たないと1軍に上がれない。投手にしたって、2軍で抑えて初めて1軍で使ってもらえる。年齢のこともあったし、3年がメドかなという気持ちだった。
プロ2年目のこと。今は思い出話として振り返ることができる。当時のロッテの監督は、昨年亡くなった元中日監督でもある山内一弘さん。打撃を教えてもらったが、教えてもらえばもらうほど、打球が飛ばなくなった。「監督の言っていることは僕にはよくわかりません。自分のやりたいようにやります」と言ったら、2軍戦約20試合で10本以上本塁打を打ち、打率も4割ぐらいあったが、1軍には上げてもらえなかった。
その後、当時の球団代表が推薦してくれて1軍に上がった。それでも数試合は使ってもらえなかった。出番は負け試合の近鉄戦で、投手は鈴木啓示さん。初球を左中間に本塁打した。ワンチャンスを生かしたんだ。ここで運をつかんだのかもしれないし、目に留まったのかもしれない。
教えてもらえば必ず、うまくなるってもんでもない。今にして思うと、1軍で何年かプレーしているうちに、ああ山内さんはこういうことを言っていたんだなと思えるようになった。ちゃんと頭で理解できるのは何年もかかる。こっちが未熟だったってこと。自分の技術に、教えてもらったことを取り入れたり、やめたり。それには時間がかかるんだよ。
選手はどうしても、今、言われたことをすぐにやらなきゃいけないと思ってしまう。コーチを利用すればいい。教える側は、毎日言うことが変わったら困る。一貫性が必要。100人いれば100人とも言い回しは違う。たまに来る人は勝手に話して勝手に帰って行く。教える方にも責任はある。おれだって2軍からこつこつこつこつやって、20年プレーしたんだ。
チャンスをつかむ、与えられる。運を持っている、運がない。選手はみんなそれぞれなんだ。例えば1軍のレギュラーが全員そろい、代打、代走、守備要員もすべて決まっているとする。たまたまけが人が出て、あきができた。そのときに、自分の力を発揮できるコンディションづくりは、とても大切なこと。自分の調子がいいときにあきがない、あきができたときに下降気味では何ともならない。いつお呼びがかかってもいいように、2軍の選手は1軍選手以上に体調管理が必要になる。
今のプロ野球界は選手の平均寿命が6、7年と言われる。中には15年、20年やっている選手もいるし、平均以下でユニホームを脱ぐ選手もいっぱいいる。2軍選手は一番、ユニホームを脱がされる可能性が高い。力が発揮できないなら、新しい選手に切り替える。そういうポジションにいるんだ。ドラフト上位で入団したから、何年間は大丈夫だなんて考え方は頭から外さなくてはいけない。技術が劣っていたら、休んでいる暇はないだろう。自分でチャンスをつかみ損ねたら、この世界から消えちゃうんだよ。
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