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 読む野球 CD監督落合博満 高額年俸 契約闘争で勝ち得た 

2009/12/08 中日新聞朝刊


 かつての年俸は、そのチームの中での年功序列で決まった。A選手、B選手が何年間も主力を張っていたら、その選手の年俸を基準にしていた。彼らより成績がよかったとしても、追い抜いてはいけないというのが常識だった。
 野球界で年俸は有形無形の看板。それを崩したのがおれ。1億円、2億円、3億円、4億円と上がっていくことで、いろんな波紋が起きた。何で野球選手が、そんなにたくさんもらうのか、と。
 ゴルフ、競馬、競艇などのプロスポーツは賞金があって、その賞金を取りに行く。1億円だろうが2億円だろうが、いくら稼いでも反感は買われなかった。契約選手のプロ野球と賞金を取りに行くプロスポーツ。世の中の人にプロ野球選手の年俸は認められない時代だった。
 一般のサラリーマンは初任給があって、大学卒、高校卒で給料が決まっている。プロ野球選手だけを、日本でいうサラリーマン社会に当てはめて、仕事もしていないのにサラリーマン以上の給料をもらうとか、長嶋、王がこれしかもらっていないのになぜそんなに欲しがるのか、と言われた。
 ロッテ入団1年目の1979年の年俸は360万円。1軍の最低保障の金額でもあった。社会人から入ったけれど、会社から給料は税込みで1カ月10万8000円。それが約3倍の30万円。安いのか高いのかは分からないが、1カ月30万円の生活になった。だけどパ・リーグだったから野球道具は全部自分で買った。社会人チームにバットをもらいに行ったこともある。セ・リーグは用具契約があったようだが、パ・リーグにいきなり入った選手には見向きもしてくれなかった。
 新幹線のグリーン車に乗っけてもらうには、1軍に上がらなくてはいけない。ものを言いたかったら、実績を残さなくてはいけない。「落合博満」という看板を球団に買ってもらわなくてはいけない。3、4年1軍で数字を残して、ものがいえる権利を得て交渉をした。
 1人のプロ野球選手として、自分の値を決めて交渉に臨んだ。だから調停もやった。三冠王を取った翌年、首位打者しかとれなかったら減俸とされたこともあった。数字はこうだからはんこを押して帰れ、だった。今はそれはできない。そのために査定する人がいるのだから。
 実際におれが、プロ野球選手の給料でトップを切ったと思う。残した数字に見合う金額はもらってきたし、それだけのことをやってきたと思っている。契約交渉で新聞記事になるようになったのは、おれが最初だろう。あのころ言ったはず。この次、出てくる選手のために契約闘争をする、と。年俸5億円、10億円も将来は出てくる、と。5億円の時代はきた。外国人選手は10億円もらう時代になった。



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